算数嫌いだった私が数学好きになった理由(2) からの続きです。
体に染み込んでいた「算数の力」
それは、
計算が正確に早くできるとかではなくて、
算数(他のすべても!)を学ぶための基盤になる基礎力みたいなものともいえるでしょう。
この「基盤」がなくては、どこかでつまづきます。
伸びません。
しかも、
算数だけではない、全ての教科につながります。
この基盤をおろそかにすると、
低学年のうちは大丈夫でも、
高学年、中学生、高校生になって伸び悩んだりします。
しかも、全ての教科において。
怖いのは、
低学年くらいでは、
その基礎力がまだ育っていなくても、
それなりの成績がとれてしまうこと。
つまり、親も先生も、
成績は悪くないから、
その基礎力がないということに気づきもしないし、
特別にその「基盤」を育てることをしなければいけないとも思わない。
というか・・・・
低学年のうちは、
その基礎力を育てるプロセスの途中でもあるのです。
昔は・・・(遠い目)
その基盤が、普通の子どもの毎日の暮らしから自然に養われていました。
かなりの割合で。
外で思いっきり遊んだり、
ゲームではなくて、アナログの遊びをしていた。
手をたくさん使う遊びをしていた。
遊ぶときに、遊ことを自分で考え出すスペースがあった。
全身で遊ぶことができた。
テレビやゲームよりも、創造的なことをしていた。
リアルで年齢を超えた人間関係もあったし、
自由時間ももっとあった。
暇で暇で仕方がないという有り余った時間のなかで、
自分のやりたいことを見つけていく「ゆとり」があった。
もう言い出したらきりがないけれど、
昔はそんな環境があったから、
そんな遊びのなかから、
学びの基盤が自然につくられていきました。
今は、それが少ない。
学校でもやってくれない。
だから、基盤のないまま、学校にはいり、
ドリル学習や繰り返し学習で、
習得しようとする。
そうやって基盤のないまま学習をつづけ、
中学、高校で、
地域で1、2位の進学校にいるというのに、
四則演算の意味もろくにわかっていない生徒をたくさん見てきました。
分数や小数の意味もわかっていない生徒もたくさん見てきました。
つまり、高校で進学高に入れるくらいの成績をとっていた子たちでも、
基盤になる力、
算数、数学を「使える力」が、
身についていない。
だって、ちょっと記憶力いい子だったら、
その意味がわかってなくたって、
繰り返し練習したら、似たような問題は解けるようになっちゃうんです。
成績いいんだからいいじゃない?
・・・って思いますか?
学校の勉強は、いい大学へ入るため!!
・・・だけであるならいいかもしれません。
でも、学校の勉強は、
一生を生きぬいていく力を育てるためにあるはずですよね。
小中高12年間の学びは、進学のためだけじゃなくて、
そのあとも使って役立つ力を育てるためですよね。
算数の力だってそう。
問題解けたって、
それを「使って」生活に役立たせたり、
自分の考えを広げていけたり、
大人になってから仕事をする力になったり・・・
そして人生を面白くするものです。
学んだことが、
知識として頭の中に入っているけれど、
それが何のことなのか、
現実の生活に結びつけられない。
つまり、染み込んでいない。
他のこと、世界のこと、他の教科と、
算数がまったく結びついていない。
そんな状態では、学校の場をはなれたときに、
「算数」「数学」は使えません!
算数や数学の考え方は、
人生のどんな問題にも使えるんです。
使えたら、
もっと違った角度でものを考えられるし、
問題解決の道具にもなります。
人生のなかで出会う問題は、試験問題みたいに、
「解いたことある問題」ばかりじゃないでしょう?
うまれてはじめてぶつかる問題を、
自分で解決していかなきゃいけないでしょう?
それには、「使える力」がなきゃダメなんです!!!!!
算数の基盤、算数を使える力があったから、
わたしは中学でぐんっと進歩することができました。
それは、学校だけのことではないです。
人生のどの時期においても、
どんな問題がおきようとも、
基盤が絶対的な力になります。
私は「昔」の世代ですから、
ありがたいことに、
良い環境で子供時代を送ることができました。
それに加えて、「あること」で、
ぐんっと伸びる基盤、底力が、
培われていたんだと、確信するのです。
その、基盤となる力が、
自然に、楽しく、
しかも、自発的にやりたくてやりたくて仕方がない作業から、
身についていました。
もう随分長々と書いてしまったので、
それが何かということは、また、次回書きます。