シュタイナー教育、スピリチュアルか? 現実主義か?
なんか、そんな話題をどこかで見かけました。
シュタイナー教育はスピリチュアル教育。
間違ってないです。
シュタイナー教育は現実主義。
これも間違ってないです。
子供を見ること、
子供に即した現実を見て、
子供の育つ環境を現実として受け止め、
地に足ついた教育をする。
シュタイナー教育はそんな教育です。
ただ、
子供の「現実」を見たときに、
子供に何を見るか・・・だと思うのです。
人間はスピリチュアルな存在である。
・・・ということ、
皆さんはどう思いますか?
現代科学で測定できないところがあったり、
五感だけでは感じ取れないものが人間にある。
天使だとか宇宙だとか神様だとか、
スピリチュアルの種類(っていうのも変だけど)によって、
言い方は違うけれど、
多くの人が、
スピリチュアルなものを感じ取るようになってきている。
私は、「人間はスピリチュアルな存在である」と信じて疑いません。
目に見えない部分を含めた、人間全体を見ていたら、
スピリチュアルなものがあるのが当たり前だと思っています。
だから、
子供を見たときに、
五感で感じ取れる部分だけで判断しない。
子供の全体を見ると、
スピリチュアルであることが動かしがたい現実なんです。
先日のブログにも書いた「チャイルドスタディ」は、
現実の子供を見るけれど、
現実の子供を通してスピリチュアルの部分も理解しようとする行為です。
そして、スピリチュアルな力も使って、
子どもを理解し、子どもの問題を解決していく行為です。
シュタイナー教育の先生は、
毎日の学校生活から、夜寝るまでの子どもについての瞑想まで、
精神的なもの、スピリチュアルな部分を含めた子供に積極的に関わろうとしている。
その基盤となっているのが人智学です。
先生の中には、
人智学を語る人もいれば
あまり語らない人もいる。
子供をどう見るか。
スピリチュアルな部分を含めての全体としての子供とどう関わっていくか。
そして教科の中にもスピリチュアルなものを見ているか、見ていないか。
それは、人智学を語らなくても、
その先生の教育のあり方に現れています。
怖いと思うのは、
どっちかに偏りすぎていることだと思うのです。
人智学をよく勉強しているけれど、
子供を見ていない。
または、自分の生き方に人智学が生かされていない。
子供を見ることに熱心だけど、
目に見える部分ばかり見ている。
(スピリチュアルなことを見ていない)
それでは片手落ち。
いいバランスを保っていたいですね。
親としても、教師としても、
一人の人間としても。