一般の学校で行われていること、
その多くは「偽物」の活動です。
あああ、過激発言。(汗)
言い換えましょう。
学校で何かをつくる。
たいていそれは、
先生や教材開発会社が、
「授業時間と生徒の技量に合うように簡単にしたもの」です。
その題材、教材には、
それまでに学習したことをうまく使って、
授業時間内に仕上がるように、
本来のものづくりではありえないような簡単さにしてあります。
そこには、
その時間で学ぶこと、その単元の学習課題、既習事項以外のことは、
できる限り排除または簡易化してあります。
リアルな世界ではありえない状態=偽物です。
今ね、
9歳の女の子とZOOM算数レッスンで、お人形のワンピースを作っています。
お人形は、その子が持っていたものから選びました。
巻き尺でお人形の採寸。
ワンピースの形を決めて、
デザインと人形の体のサイズに合うように、
自分で型紙をつくります。
型紙から布を裁断し、洋服を縫う。
シュタイナー学校で、
9歳といえば、
算数で長さや重さ、容量などの度量衡を学びます。
9歳の危機をのりこえるために、
衣食住についてたくさんの経験をして学びます。
洋服をつくりながら、
度量衡を実際に使う。
そしてデザインを決めるときに、
いろいろ計算をします。
ここで出てくる計算は、
実は学校では習ってない計算もあります。
だって、計算しやすいように数字を決めるんじゃなくて、
人形のサイズに合わせて数字がでてきて、
そこから計算するんですから。
実体験のなかでは、
学校で習ったか習っていないかなんて関係ない。
工夫して答えを見つけなきゃ、服は仕上がりません。
問題演習なんかやってるより、
実はずっと難しい問題が出てきている。
でも、具体的な作業のなかの問題だから、
工夫ができて、自然に頭が働いて、
習っていなくても解けてしまう。
偽物ではない、リアルの世界では、
あたりまえのことです。
偽物だと、そんな「習っていないこと」など出てこないように、
すごく工夫して教材がつくられています。
教科書だって、変な答えが出てこないように入念に作られてます。
文章題だってありえない設定のものが多いでしょ。
教材って、ある意味すごいですよ。
子供に必要なことをさせようという善意のもとに作られたのに、
実は本当に大事なことをすっかり排除してるんですから。
(ああ、毒舌 ごめんなさい)
で・・・
子どもってね、大人以上に敏感です。
偽物は偽物と見破ります。
実際にはこんなのがリアルの世界ではないんだってこと、直感で感じ取ります。
偽物って・・・つまらないんですよ。
すごーーーく、やる気が削がれる。
そして、こどもは、
大人が自分のことを見くびっていると感じます。
大人が手を抜いていることも感じ取ります。
で、どうなるか。
子どもは、
「ああ、この程度やっておけばいいんだ」
と、思う。
こどもは無意識のうちに手を抜きます。
本人は全然意識してないけど、
結局、大人が子供を見くびる→子どもが大人を見くびることになっています・・・
でも、
本物の作業をすると、
子どもは本気になります。
自分が全部つくってるんだという、
プライドも出てきますしね。
自分オリジナルのものだという歓びや、
作る楽しさが湧いてきます。
教える大人だって、手はぬけません。
本気にならなきゃできないんですよ。
そして、できあがったものは宝物です。
私からみれば、
子どもが実際にした作業の体験と、
やりとげた子どもの頑張りと、
子どもの輝く瞳が宝物です。
ZOOM レッスンは、
低学年は親子で一緒にやっているのですが、
こういうリアルの作業だと親の熱意も違います。
親が一生懸命。
それも子どもに影響します。
しかもねえ、
親子の間に流れる雰囲気が、なんともいい。
いい時間を親子一緒に過ごしているのが伝わってきて。
こうやってリアルのことを題材にレッスンをするのは、
教師としては大変です。
手が抜けません。
でも、一生懸命の度合いが違う。
だって、子どもが自分で考えていくから。
考えさせられているのではなくて、
自然に、頭が働いていく。
世界中にいる素敵な親子と一緒に、
こういう時間を過ごせるのは、
私にとっても幸せなことです。
こんな活動を子供と一緒にやりたいなーと思った方。
シュタイナー教育的に、
こんな手仕事をすることをあきらめなくていいんですよ。
ZOOMですからどこにいても気軽に始められます。
親子の楽しい充実した学びの時間。
それはお子さんにとっても、お母さんにとっても、
大事な時間になるはずです。